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「ダウンタウンの理由。」

その2 1996年2月12日号〜1996年6月24日号まで (10回分)



11 1996年2月12日号 NO. 4

武道館ライブ、紅白、そして96年のダウンタウン。 独占!12月31日密着取材「うちがシメやな,95年をどこがシメんねん!」
『松風'95』,紅白歌合戦。1996年は,浜田:「松本とふたり,小さなホールで何かやりたいなぁ」松本:「96年は何をやりましょう?漫才でもやりましょうか〜。今になって,漫才って何やろて思う部分もあるんで。またやりたい気ぃはありますね」その言葉を信じてるんだからね (;_;)>おふたりさん)


12 1996年2月26日号 NO. 5


東京の壁(2)「大阪の芸人が東京に来る高速道路を作ったのは俺たちやのに……」
台本どおりにやらない,決められたとおり動かない独特の笑いの文法が現場のスタッフにさえ理解されない状況


13 1996年3月11日号 NO. 6


笑いの場作り 「前に出ていくは僕の役割やった。その後,松本のおもしろさをわかってもろたら,それでOKなわけやから」
2人揃って神経性の円形脱毛症に。クイズ王にタレントがチームを組んで挑むというクイズ・バラエティに解答者として出演した時の,浜田がまず単独で目立つという作戦が成功


14 1996年3月25日号 NO. 7


東京「初」漫才 「舞台に立った僕らを見る観客の目がナメてましたね」
1989年10月,東京で初めての冠番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』を開始。第1回目の漫才を終えて汗だくの状態で楽屋に帰ってきた2人の第一声は「あか〜ん!」


15 1996年4月8日号 NO. 8


亀甲縛り 「松本の目ぇ見たら,つっこんで欲しいかどうかわかる。でないとフリートークは無理やわ」
17週目,漫才,コントなど持ちネタがなくなり,企画もののオープニングとフリートークの形に。しりとり対決の罰ゲームで亀甲縛りされた松本が新宿アルタの巨大スクリーンに。それを見に集まったたくさんの人々に『ガキ使』の人気を最初に実感


16 1996年4月22日号 NO. 9


番外編 秘蔵版 証言集・素顔のふたり 「松本のほうが緊張しぃやから」−浜田雅功 「浜田は緊張すると,人格が変わってケンカの弱い弟の顔になる」−松本人志
本人を含む,彼らに近しい14人の証言集


17 1996年5月13日号 NO.10


結成15周年スペシャル 「ダウンタウン現象」の理由。ダウンタウン、笑いと批判を語る。 「いろいろ叩かれるのは,剥き出しの笑いやからや!!」
彼らだけが知る「裸のダウンタウン」現代マネージャー物語。
岡本昭彦氏(4代目),中井秀範氏(2代目),新田敦生氏(3代目),大崎洋氏(1代目)のインタビュー。DTの側にいた各氏の話だけに興味深い内容です


18 1996年5月27日号 NO.11


『ごっつ』開始秘話 「日曜8時の時間帯なんかイヤやって,今でも喧嘩してるんやけど…」
1991年,火曜夜7時のワイドスペシャルの枠で『ダウンタウンのごっつええ感じ』のスペシャル。その際に『4時ですよ〜だ』のディレクターのひとりだった山口将哉氏が大阪から上京。特番に参加。ADからスタートしたそうです


19 1996年6月10日号 NO.12


『ごっつ』の闘争 「最初の頃は日曜8時に合わせんとマニアックなことばっかりやってたんですよ」
番組の立ち上げ秘話


201996年6月24日号 NO.13


コントを語る(1)「スタッフは俺のこと嫌いやと思う。一番うるさいからねぇ」−浜田雅功
コントの中身は松本,現場作りは浜田という役割分担





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