BART
「ダウンタウンの理由。」

その3 1995年7月8日号〜1996年11月25日号まで (10回分)



21 1996年7月8日号 NO.14

コントを語る(2) 「松本にしても,もっとマニアックなコントにしたいやろけど…。言うたら大人になったんでしょうねぇ」
『ごっつ』は途中からほかのコーナーを前面に出し,コントを番組の中心にあえておかない戦略をとるように。そのほうが視聴者の評価を気にせずコント作りが出来るから。それでも,ファミリー向けの時間帯という枷はいまだに大きいそうです
浜田雅功「竜馬」を斬る!! 「これが終わったら,しばらくドラマの台本置きますわ」
ドラマの現場における浜田雅功。『竜馬におまかせ!』で共演した内藤剛志氏の証言あり


22 1996年7月22日号 NO.15


社会現象への階段 「浜田くんは,感動屋さんやねぇ。普段は毒づいたりしてるけど…」
1992年夏,日本テレビのチャリティ番組『24時間テレビ』の15代目のメイン・パーソナリィに。結果,全時間平均17.2%の過去最高の視聴率をマーク。「この番組をきっかけにすべての年齢層に浸透していった感じがする。『ガキ』の視聴者もかなり広がりましたね。それを証拠にあの頃から苦情の電話が多くなった(笑)」とは菅賢治氏談。


23 1996年8月12日号 NO.16


番組選びの嗅覚 「ひとりだけの新番組の計画は着々と進んでます」−松本人志
「早ければ10月には〜」の言葉通り,10月から始まる事になりました。でも,「ふたりでやる新しい番組についても考えてることもあります」と ありますから,これにも期待して・・・


24 1996年8月26日号 NO.17


ひとりのダウンタウン 「ひとりでやるんやから,ふたりでやれることしても意味ない…」
それぞれの個人活動について。単独活動の場が増えるたびにダウンタウン解散説,不仲説がささやかれますが,そのたびにふたりで笑ろてるそうです。浜田さんもTBS系にてゴルフ番組をもつことに。複雑な心境・・・


25 1996年9月06日号 NO.18


松本人志,ひとりの闘い 「浜田のツッコミのない舞台が,どんなに大変か・・・」
週刊朝日にて『オフ・オフ・ダウンタウン』連載開始。1万円ライブの準備


26 1996年9月23日号 NO.19


笑いの神 「一番の笑いを追求するのが,僕の義務やから」
1994年9月に行った1万円ライブについて。そして『遺書』発売


27 1996年10月14日号 NO.20


ダブル・ミリオンの苦悩 「”ダウンタウンつぶす気か”って客に怒った・・・」
『オフオフ・ダウンタウン』の連載終了。『遺書』発売後間もなく,浜田雅功はH Hungleとして『WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーブメント』発売。200万を超すヒット。Wミリオンを達成した初めてのコンビとなる。それによってダウンタウンの社会化現象に拍車がかかることに。浜田さん曰く「『おもろい』て居うてもらえてるあいだに,調子のええ番組はやめたいねん,ホンマは。・・・これは,俺だけの考えやけど」


28 1996年10月28日号 NO.21


緊急企画・浜田雅功,新番組を語る! 「相方と比較されても困る。マスターベーションしてるだけやから」
ただ,ゴルフがうまくなりたいだけで始まった番組だそうです。「ちょっとテレビを使って遊んでもええと思った」そうで。「ダウンタウンがこれからどう動いていくかは,ホンマ松本さん次第ですよ。俺は,それをうまくアシストする仕事をしてるわけやから」健気すぎて涙が....。(;_;)


29 1996年10月29日号 NO.22


緊急企画第2弾・松本人志,「一人ごっつ」を語る! まさに笑いの修行です
内容としては,「Tokyo Walker 1996.10.22号 No.41」に掲載されてた内容を詳しくしたもの。(よく読んだら,「Tokyo Walker」の筆者も「Bart」と同様,伊藤愛子氏でした)最後に「ダウンタウンとしてもね,この前ふたりでやれる新しいことをちょっと思いついて。今どうかなぁと探ってる最中です」と松本さんは語ってます。「一人ごっつ」はCXの深夜番組の通例通り半年の予定だそうで。早ければ,来春にはダウンタウンの新番組がお目見えするかもしれません


30 1996年11月25日号 NO.23


売れ続けるということ 「ダウンタウンを超えるお笑いなんてない」
1995年の怒涛のようなブームから,1996年へ。「結局,俺らは売れてへんときから,ずっと同じことをやってきたんよ。時代に合わせたこともないし,ただ自分らがおもろいと思うことをやってきた。それを勝手に『おもろい,おもろい』と持ち上げといて,ほんで数字がちょっと下がったら,『勝手なこと,やってるからや』って文句言われてもねぇ。今までこれでやってきてんから,変えようないし。ほかのことやったら,たぶんおもろなくなるでしょう」(浜田)
漫才に関しては,「そのうちに」だそうで。「15分の漫才ができたとしましょう。それだけでライブはできないじゃないですか。1時間の漫才なんてありえないですからね。それをやったら,アドリブに近い漫才になって,『ガキ』のフリートークと変わらんようになってしまう。それではやる意味がない」(松本)
実は,今年の9月の『ごっつSP』の「青春プレイバック」がらみで漫才をやらせたいという意向が『ごっつ』の小須田プロデューサーにあったそうです。浜田さんはOKだったけど,松本さんが・・・。昔のネタでもいいからって頼んだそうなんですが。小須田氏の言うように漫才は「これから先のお楽しみってとこ」なんでしょう。





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